人を断捨離…したくない派

最近よく見かけます。

合わない人を断捨離しようって。さっきも見ていたインスタで「あなたの悪口をいう人、暴言を吐く人、執拗にマウントをとる人」とは離れようと書いてありました。人を切る…最近よく見かける言葉。切ると楽になれるから?


私、35年前イジメを受けてました。

マンションの強い人が私を気にいらなかったんです、みんな強い人には逆らえず。

みんなで遊びに行く中に呼んでもらえず、娘も「まみちゃんはダメ!」って仲間に入れてもらえずでした。娘は何をされているかわかってなかったけれど、見ていて辛かったです。娘を自転車に乗せて遠くの公園で遊んでました。

みんな、強い彼女に何も言えなかったんです。


小学に入ると、強い人はみんなから相手にされなくなりました。いろいろな地区から人が集まるから彼女の存在に怯える人はいなくて、むしろ噂を聞いて疎まれていたようでした。


すっかり外に出てこなくなった彼女、マンションの誰も彼女に話しかける人はいなくなりました。私だけは彼女を見かけると挨拶もしましたし、普通に話しかけてました。


私は引っ越しをすることになり、みんなに挨拶に回りました。彼女のところに行くと、真っ暗な部屋から出てきた彼女は、「まみちゃん、イジメてごめん」と言って泣いてくれました。


翌日出発の日、マンションのみんなが出てきて見送ってくれましたが彼女だけはいません。

部屋を見ると閉じたベランダのカーテンの隙間からこちらを見てくれていました。


私は彼女に感謝しています。彼女が謝ってくれなかったら、私はイジメられた思い出だけを持って生きていかなければならなかった。謝ってくれた彼女には感謝しかありません。


あそこで私が彼女を切ったら、、

その後のステキな経験はできなかった。



先日、子供さんがイジメを受けたとテレビの画面で話す親御さんを見ました。

お子さんがどんなことをされたかを話して、親御さんもお子さんも「イジメられた!」と言葉にしてお怒り。

子供を守るのは親しかいない。けれど、守り方はいろいろだなって思いました。


私なら、、子供に「いじめられた」と思わせないことをまずは考えるように思う。その後のことはされた内容によってになるけれど。



娘が幼稚園のときに登園拒否になりました。担任の先生の話すことと、私の話すことが違って、担任はご自分を貫かれたようでした。

門の前まで送ると、火がついたように泣く娘。

園長にしばらく休ませると言うと、「とにかく連れて来てください。中に入ったら責任を持って預かる」とおっしゃってくださいました。

そして、、

「担任のことも私に(園長)任せていただけませんか、私にとっては、園児たちと同じように大切な子供のような存在なんです。」とおっしゃった言葉を聞いて、

子供は園長先生にお任せしようと思いました。


先日この話しを友人にすると

「それは、園長にとっては騒ぎ立てられたら困る話しやもん。上手に宥められたんやわ。」って言われて、、ビックリでした。

この発想は思いもつかなかったことでした。彼女には反発もせず、笑って聞いていたけれど、


なんだか

世の中が変わったように思いました。


今の私を作ってくれたのは、私を愛して信じてくれた両親や、仲良くしてくれた友人たちや、そして憎まないこと、恨まないことを経験から教えてくれた人たち。


もちろん、イジメられているときは辛いし悲しいけれど…

私がその渦の中で「いじめられっ子」になったら辛いままで終わってしまう。

私の悪口を言う人を断捨離してしまったら、そこから先にはなんもない。


難しいことだけど