幸せな最期

知人のお父さんが一昨日の明け方に亡くなられました。


知人は東京でマンションを持って暮らしていたのだけど、お兄さんが亡くなられて老いたご両親二人の暮らしになり、ご病気になられたお母さんを心配してマンションを引き払って郷里の新潟に帰りました。


整体の開業医だったので、医院さえ開ければ生活は問題なかったんです。


お母さんは3年前に亡くなられました。いつもはデイサービスに行くお母さんを玄関まで見送るのだけど、その日はお部屋で用事をしていて見送らなかったらしいです。(声だけの見送り)お母さんはデイで具合が悪くなって入院。コロナで面会禁止だったため、声だけの見送りが最後になって、玄関まで行けなかったことを後悔してました。


お父さんは元校長で頑固で、彼のために毎日てんこもり食事を用意してくださって、数ヶ月前まで車にも乗っておられたほどにお元気でした。


亡くなられる前日、体調が悪そうだったので「病院に行くか?」と訊ねると「いい」とおっしゃるので、「なら、明日の朝の様子を見て行こうな」と言っていたらしいです。


夜中3時にお父さんを見にいくと、ベッドから起き上がったときに倒れ込んだように亡くなっておられたらしいです。


私がいつもお父さんを心配するので、すぐに知らせてくれたようだけど、時間が経過すると

いなくなったことを実感して悲しくてたまらない。と書いてありました。


私は亡くなられた様子を聞いて

「失礼だったらごめんね、長患いをするわけでもなく、自分の家のベッドで亡くなられて、いい最期だったね。」ってメールを送りました。


知人は大学から東京でした。60歳を前に老いた両親を思い雪深い新潟に帰られました。


類は類を呼ぶのか…

先日社長と話しをしていたら、社長は今大阪のマンションでご家族と暮らされているのだけど、子供たちが巣立ったらご両親の住む故郷に帰るとおっしゃってました。

今78歳のお父様、「お若いですね。」と言うと、「いやいや、それでも二人だけで暮らさせるのは心配や。」とおっしゃるので、「社長の奥様は都会の方だから、何もない田舎暮らしは難しいですよ。」と言うと、

「女房が来れなかったら、僕一人でも帰るよ。」とおっしゃってました。

まだ、こんな人が日本にいるのだな…



私の父は67歳で亡くなりました。私が27歳のとき。わたし達もまだまだ元気で、父が寂しくないようにって毎日誰かが父の病院に行きました。

母はその様子を見て「子供をたくさん産んでよかった。」って言ってました。


母は93歳で亡くなりました。母の最期は可哀想な最期でした。「寂しい、寂しい…」って毎日電話がかかってきてました。そのうち話す人がいなくて、言葉を無くして…亡くなりました。


どんなに尽くしても、大切な人を亡くすと

「こんなこともしてやればよかった…」と後悔をすると誰もが言います。

私がみなさんの孝行話しを聞いて涙が出るのは、自分ができなかったことの感謝だと思います。


知人はご両親を大切にされました。私の両親ではないのだけど、なんでか私は嬉しい。