鬼子母神さま

小学生のときに転校しました。

母の弟と暮らしていた祖父母と、叔父家族が仲違いをして叔父家族が家を出てしまって、老いた祖父母が二人で暮らすことになって、

心配でいてもたってもいられなくなった母が祖父母の家に戻ったためでした。

父は何人かの人を雇って商売をしていて、これから新しい事業を初めるところだったらしいですが、何年かかけてその場所での仕事をたたみました。


そのとき祖父は83歳、祖母は76歳。祖母は認知症でした。当時は認知症という病気がなくて、母のこともわからない祖母を「ボケている」とみんなが言ってました。両親は何とか治らないかと拝みやさんに行ったり、もちろん医者にも行きましたがわかりませんでした。拝みやさんでは「狐が憑いてる」と言われたようでした。毎晩8時になると両親は私と兄を連れて近くの鬼子母神さんにお願いに行くんです。中に入って、長い長い何か…お経のようなものを読んでました。「鬼子母神さんは母親の子供の心配事をきいてくださる神様だけど、親を心配する子供の願いもきいてくださるはずだ。」と母は言ってました。母は毎晩祖母のことを願いに行ってたんです。


どんどん症状が酷くなる祖母、

毎日下着は汚れ、壁に排泄物を塗りつけていた祖母。母は壁を拭いて、タライで素手で汚れた下着を洗っていました。「かなんわぁ」と独り言を言ってたけれど、祖母を叱ることはありませんでした。


祖父が亡くなってから夜中の徘徊がはじまりました。祖父を探しに歩いていたのでしょうか。

鍵をしても中から開けられます。祖母は病院に行きました。当時は施設もないし、精神病院でした。祖母はすぐに帰ってきました。小さな木の棺に足を屈めて入れられてました。母…ボーゼンとしてました。


母は祖父母を尊敬していました。母の口から祖父母の悪いことを聞いたことがありません。立派な祖父、仲良い祖父母…と私によく言ってました。母は祖父母が大好きでした。


私の母は困った母でした。ため息が出るようなこともたくさんありました。友人の優しいお母さんが羨ましかった。だけど、私は母をやっぱり尊敬しています。それは幼いとき目の前でタライで下着を洗ってる母を見たり、祖父母を心配する母を見ていたからだと思います。

親を尊敬できるのは幸せなことだなーって思います。


母は晩年、寂しい寂しいってよく電話をかけてきました。当時はデイサービスが始まった頃、母は子供のためにデイに行ってやろうなんて思うこともなかった。ただ、亡くなるまで子供や孫の日々の暮らし(病気や事故)を心配する母でした。


親が子供にできることは…

姿を見せることなんじゃないかと思いました。

一生懸命に働く姿

家族を思う姿

人に優しくしている姿

親を敬う姿



私の実家の近く、歩いて五分もかからないところに鬼子母神さんがあって、いつも行きたいな…って思ってました。娘の身体が心配なので、、

京都にも近くにあると昨日聞いて、今日行ってきました。

ですが、その鬼子母神さんは介護施設やご葬儀場まで運営されていて、悲しい気持ちになりました。


この社会の先には何があるのでしょう。