大きなお世話焼き

小学からの親友I子

婿養子さんで、ご両親と二世帯住宅に暮らしていた。老朽化した家は階段からお母さんが転んだり危ないと言うので、駅前に新しい家を建てることを提案。田舎なので車がなければ始まらない場所、「駅前がいいよ」…それは田舎を離れた者だからわかることでもあった。

I子は「無理やわ。お父さんが建てた家を大切に守ってやりたい」と言う。彼女の思いを理解しながら、それでも「駅前がいいよ」って話した。


お父さんが亡くなられて、I子は駅前に家を建てた。分譲地を二区画買って、広いお庭の立派な家。お母さんのためにバリアフリーで、お母さんのお部屋からデイサービスの車が出入りできる駐車スペースも作った。


婿養子さんの旦那様のお母さんは九州の介護施設(元々大阪で暮らされていたお母さん、息子さんの世話にならないようにと故郷の九州の施設に入られたのだった。故郷には姉妹がいるからと)

私はI子に「お姑さんに来ていただけないの?引き取れないの?」と言った。「お父さんとお母さんの二人を介護していると思えばいいやん。九州なんてなかなか会いに行けないよ。後悔するよ。」

「無理!」って言ってたI子だったけど、

来ていただきました。九州から滋賀に^ ^


デイサービスは実母と違う施設に

二人が不要な煩うことがないように配慮しました。

彼女も、旦那様も仕事をしながら(旦那様はリタイア後の嘱託)、時々同居の息子さんにお願いしながら。


いろいろありました。


実母のことを彼女は考え違いをしていたんです。実母でありながら「キツイ人」だと嫌っていました。

私が彼女の新居に訪ねたときに彼女は留守で、お母さんと話しをしました。お母さんは「この立派な家は婿が建ててくれました。」と私におっしゃいました。お婿さんへの感謝の言葉をたくさんおっしゃいました。いやいや…

半分は、お母さんが出しておられるのです。


彼女に言いました。

「お母さん、婿が建ててくれたって感謝されていたよ。」彼女の顔が変わりました。

それから直ぐにお母さん、亡くなられたんです。私も入院中にお顔を見に行きました。寝ておられたので、「とっても可愛いお顔をされて寝ておられたから帰ってきた。」…


「ポロンが母から聞いた話しを言ってくれなかったら、私は母を誤解したまま亡くしてた。亡くなる前に聞けてよかった。」


実母が亡くなった後、姑さんの認知が進み毎日排泄物を掃除して仕事に行く彼女の姿を見て、旦那様は介護を積極的に手伝ってくださったそうです。一時は、お姑さんを引き取ったことによる夫婦の危機もありましたが、介護を助けてくれて、彼女が帰ってくるまでにパスタを作って待ってくれていた旦那様、

賢い人たちです。家族で乗り越えられました。

息子さんもご両親の姿を見ています。


最後まで家で二人の母親の介護をして

彼女は

「幸せやねん、今が一番幸せ」

って言いました。


よかった。


彼女のお家のお庭で

介護中にお邪魔した私を手料理で迎えてくれました。


幸せです^ ^

いいお友達、

尊敬できる友人を持てたこと。