もっと生きたかった

「もっと生きたかった」


長兄の部屋から見つかった

チラシの裏に書かれた走りがき

兄はお誕生日を一人で迎えて亡くなりました


離婚して、子供もいなくて

寂しいことはわかっていました

でも50歳を超えた大人、友人もいるので

なんとか暮らしているだろうと思ってました


私が未熟でした

孤独ということ

世間を知らなさ過ぎました


友人には友人の家庭があって、

他人の孤独や状況までを押しつけることが間違っていたこと、

孤独という地獄


兄はたくさんSOSを出していました

辛い、苦しい、死にたい…

そういう直接的な表現ではなく


ひとりぼっちにしないこと…

心の声に耳を傾け知ること

話しを聞くこと、ただ聞くこと

気持ちを共有すること


そんなふうに感じます

ひとりじゃないということは大きな支え

愛を感じることは強い力になります


それは、「いのちの電話」でできるものじゃないように思います


そして、

一人一人のその言動が

誰かを追い込むことになるかもしれないことを、情報が氾濫、麻痺している今

しっかり考えなきゃならないように思います


私は少しの我慢をします

私には少しの我慢だけど、

私がとる言動が誰かを大きく悲しませたり、追い込むことがないように


死にたい人なんていません

誰も生きたいに決まってます