ボロボロは覚悟の空の下の天国
介護施設に入っている親御さん
何かがあると、施設の方が対応してくれて、
あゝ、よかった!と
施設の方に感謝して、
施設に預けてよかったと安堵するお子様。
その様子を遠くで見ていると
クエスチョンが湧くのは
やはり私の考えが変だからなんだろうか
この親御さんは、
生きながらえたいのかな
このお子様は親御さんが
生きていればいいのかな
今日骨折をしました。
一人暮らしになってから…
というか、老いからですが
あちこち病が出てきました。
一人で病を抱えて、不安を打ち明ける人もなくて、一つ一つ何かが起きるたびに落ち込んでしまいます。いよいよ施設かなと考えると涙がこぼれました。
施設に入ると、職員の責任がありますからすぐに診察を受けて、生きながらえるでしょう。
それは、私の希望ではないです。
虚な目をして、排泄のお世話になり一日中横になっているなら生きていたくない。
家族と暮らし
病に伏せったとき、遠くの部屋に家族の気配を感じて暮らしたい。それは我儘なことなんでしょうか。言ってはいけないことなんでしょうか。
「母親は施設には入れない。在宅の支援を受けて、足りなければ私費で在宅介護を頼みたい。そのために母に元気でいなあかんで…って言ってる」…61歳、母親と二人暮らしの男性。
会うときがあると、お母様にお菓子を持って帰っていただきます。
栗落雁は、お母さんが一つずつ戸棚から出して、お茶を入れて喜んで食べてくださっているらしいです。「あんなに喜んでいたら、僕たべられへん」って言ってました。
先日はブロガーさんに教えていただいた、京都吉廼屋さんの御伽草子を持って帰ってもらいました。「上手に作ってあるなぁ…って母と二人で喜んでいただいたよ」って言ってました。
お母さんが一人で栗落雁を食べている姿も、一人で御伽草子を食べている姿もありません。
そのお家には
どこにも、親子の姿がありました。
天国がありました。
彼はひとりっ子なので、これから自分が抱えることの認識もされていて、ボロボロになるやろな…って言ってます。
今も旅行にも行きません。お母さんを一人にできないから。
私は、お母さんが食べ物を口にできる間は
何かを探して渡すつもりです。
母にできなかった思いと、
二人の様子を思い浮かべると、私が笑顔になれるから。