「そっかー」「そうだよ」の親心、子心

親孝行な彼


先日、お嬢さんたちとお母さんの服を探しにタクシーでお買い物に行ったらしい。

お母さんは迷惑そうで、「何もいらない」と言われて、何も買わずに帰ってきたらしい。


「せっかく子供達にも帰ってこさせて、連れて行ったのに、いらんって言うねん」って少し怒りマーク。


「わっかるわー、お母さんお金を使わせたくなかったんだよ。子供にお金がいくらあっても親ってそんなもんだよ。私も娘が何を買ってあげるって言ってくれたとき、いらない…って言ったもん。親に買ってやろうなんていっちょまいになって…って心の中、嬉しくてウルウルしてたけど、そのお金、自分のために使って欲しくてね。

今から思うと、喜んで買ってもらうのも子供孝行だったのかなと考えることあるけど…

親孝行、子供孝行し合っていたんだね。」


彼…「そっかー」

私…「そうだよ」


そのお母さんが最近耳が遠くて心配だと言う。

「人の声が聞こえにくくなって、社会から遠くなっていくと、関心も薄れて認知症にならないか心配やねん。」


「そうやね、そう思うなら

たくさん話しかけてあげて」


彼…「そっかー」

私…「そうだよ」


ポロンちゃんは、親の話に100%明確な解答をすると言う。

一般的に明確かはわからないけど、

彼にとって明確だとしたら…

終わったからかもしれない。

後悔ばかりだからかもしれない。



母が認知症になる前、毎日かかってくる同居する兄家族の悪口の電話がしんどかった。かかってこなくなったと思ったら、母は電話ができない身体になってた。


母の兄家族の悪口に私はいつも母をたしなめていた。

「そんなこと言ったらあかんわ」

「孫のことは、親に任せて口出ししたらあかんわ。」


兄嫁は他人、母は肉親だから

わかってくれるだろう甘えがあった。


母はどんどん「ひとりぼっち」になっていき、認知症になった。


母が亡くなって

母の話しを聞いてあげればよかったって思った。みんなが母の敵でも、私だけは母の味方になってやればよかったって思った。母が間違っていても「そうやな…」って聞いてあげればよかったって思った。


親子でも、言葉にしなきゃわからないこともある。


終わらなきゃわからなかった

馬鹿で未熟だったわたし(今もだけど)


こういう経験をさせてもらって

やっとわかることができた。

母が教えてくれたんだと思う。