私の父は、誰にも優しい人でした。

仏様かと思うほどに


しかし、母は怖かった。

母は感情の塊でした。

私のことが気に入らないと部屋にやってきて

可愛いくないと一時間言われました。

母と笑い合い、何かをした記憶はありません。


結婚するまでは、ただ父は優しい人とだけの私の家の感想でした。


私に不幸な出来事が起きてから

よく両親を思い出すようになりました。すると、普通に過ごしていた日常のあちこちに

母の姿が見えるようになりました。


兄が家出をしたとき、カバタで一人で泣いていた母

田舎なので車で食料を販売に来られる車を覗き込み、私の好きな鱈の酢漬けを見つけポロンが好きやからと喜んで買っていた母

祖母の汚れた下着を素手で洗っていた母

私が知らない私の好物を知っていた母

近所の人にポロンは優しい子だと言ってた母


私に向かっては、箒でバシバシに叩き

可愛くない!と目を縦にしていた鬼のような母だけど、母が一人でいるとき、母が近所の人や親戚のおばちゃんと話すとき…我が子への愛情溢れた母がいました。


私は、目から鱗がこぼれ落ちました。

こんなに私は愛情を受け、大切に育ててもらっていたのだと。


ある側面からだけしか見なかったとき、母は厳しい怖いだけの母だったけど、違う母がいました。考えてみたら…父がただただ優しかったのは、厳しく育ててくれた母がいたからかもしれません。


娘が生まれたときに、父が私の夫の両親に言ってました。

「家内の子育てだけには自信があります。

安心してください。」父が一番よく知っていたのだと思います。


私も娘を育てました。

可愛い可愛いだけで育てられたら

どんなによかったろうと思います。

それぞれに育てた環境で、それだけで育てられないときもあります。娘には辛い悲しいこともあったのではないかと思います。

可哀想なことをしたなぁ…って思います。親だからなんです。親ってそういうものなんです。

親だからこの痛みも受けとめなきゃなりません。親だから。

雨にもマケズ…悲しみにもマケズ…

両親が生きていたときは、私は両親のために良い子になろうと考えたことはありませんでした。仏様のような父は、私が何をしても笑って見ている人でしたが、母は怖かったです。が…

母の顔色を伺って良い子になろうと考えたことは一度もありませんでした。

あーうるさいなぁ…と思ってました。


母が亡くなってから、よく母のことを考えるようになりました。母が言ってくれた言葉を思い出したり、母がしてくれていたことを考えると、親は100%の感情で子供を信頼し、愛してくれていたのではないかと思いました。


それを知ってから私は、

両親を悲しませないように生きようと思いました。


人を憎まず恨まず、

人を大切に思う気持ちを持ち、感謝をする。

毎日を、自分なりに一生懸命に生きて

辛いとき、悲しいときもたくさんあって

そんな私も両親は見ているだろう…

辛いときも、悲しいときも…

笑顔になれないときもあるけど、

泣きながらでも、人を憎まず恨まず大切に思い

感謝することをしよう。


と、良い子になりたいのではなくて

私を思う両親のために

そんなふうに生きようと思う。

たまたま、勤労感謝の日に思ったこと

勤労感謝の日


はい!働いてます^ ^

珍しくお弁当を作りました。

ヤフーニュースでゆうこりんがお買い物に行けなかったので冷食をお弁当に詰めたとありました。

私は娘のお弁当に冷食を利用したことがありません。手作りの母親の愛情をと頑なになっていたのだと思います。今から思えば…

愛情ってそんなもので計れるものではないことがわかるのだけど、若かったです。


老いてわかることがたくさんあって、

まだまだ…これからもずっとそうなんだろうなぁ


未熟な母親でしたが、娘を愛する思いは娘がお腹にいるときから完熟でした。

嫁にいった娘に…今私が母親としてできることは、遠くから娘の健康と笑顔を願うことだけです。朝に夕に…朝日に、神様に、仏様に、お地蔵様に、星に、手を合わせられるもの全てに手を合わせて願い、

私はしっかり働いて、慎ましく丁寧な暮らしをすることかなぁと思っています。



かぼちゃの煮物

鰆の塩焼き

ブロッコリー

だし巻き卵

ナスとピーマンのしぎ焼


ご飯の間に鰹節を挟んでます。猫マンマが大好きです^ ^*